銀のスプーン

幼い頃の君は銀のスプーンが好きでした。時おりポケットから出しては、逆さまに映る自分を眺めていたね。躓いて転んで悲しくなった時も、しばらくすると君は、銀のスプーンを眺めてニッコリ笑っていました。

『逆さまに映るスプーン』

つまりあのスプーンは、悲しい事が楽しく映るスプーンだったんたね。

マーくんのポケット

マーくんのポケットには、いつも宝物がいっぱい入っていました。マーくんは毎日裏山に出かけると、気に入ったものをポケットに入れていました。石ころ、木の枝、カマキリの卵…。マー君にとっては、どれも大事な宝物でしたが、ママにとっては悩みの種でした。『どうして?』って、それは、ある朝マーくんのポケットから、数えきれないほどのカマキリの赤ちゃんが元気よく跳びだしてきたからです。

今 日もマーくんは沢山の宝物をポケットに入れて誇らしげに帰ってきました。「見て!このドングリ、すごいでしょ!」けれど、どのドングリも全部割れていまし た。「残念ね、全部割れてるのね…」とマーくんのおかあさん。いつもは大人からあまり理解されないマーくんですが、その日は大好きなおじいちゃんが、遠くから 遊びに来ていました。マーくんがポケットから割れたドングリを出すと、おじいちゃんにはマーくんの言いたいことが、すぐにわかりました。

「すごいな!マーくん。どのドングリも全部殻を割って芽を出そうとしてるんだね!」

ハレー彗星にこめられた思い

ハレー彗星がやってきた年のことです。公園の石山の上に腰掛けて、ケンちゃんのパパとママは夜空を眺めていました。流れ星が一つ過ぎるごとに二人は願いごとを唱えました。『ケンちゃんがお話できるようになりますように…』4歳のケンちゃんには言葉がなかったのです。せめてケンちゃんに『パパ』『ママ』と言ってほしい。それが二人の願いでした。

そんなある日、ケンちゃんのママが訪ねてきました。彼女は玄関にしゃがみこむと、いきなり泣き出したのです。『ケンちゃんが白血病になってしまったの。言葉なんて話さなくていいから、ケンちゃんに生きててほしい。』

彼女のハレー彗星にこめられた願いは『生きてほしい』という願いに変わりました。

あれから10年、ケンちゃんは元気に復活しました。言葉も少しずつでてきました。ケンちゃんが『今日も元気に、生きていてくれる』ことに感謝するようになってから、彼女は焦らず、諦めず子供の成長を見守るようになったと言います。

『そうしたらね、驚いたことに言葉がでてきたの!』

親しかできないこと。親だからできること。

私がまだ、大学に通っていた頃のことです。当時私は父が運営する相模原のBEP研究所で、発達障害のある子供たちのサポートをしていました。毎 週日曜日、父は子供たちのパパに呼びかけ、手作りビデオの作成をしていました。日本のお父さんはとても忙しく、当時ほとんどのパパが、子供が起きる前に仕 事に出かけ、子供が寝てから帰宅するといった毎日を送っていました。『もっとパパたちに子どもたちと拘ってほしい!』そう思った父が思いついたのが、パパ が出演する、我が子のための『手作りビデオ』でした。 その日は自閉症のてっちゃんという男の子のビデオの作成をしました。てっちゃんにはほ とんど言葉がありませんでした。早速ビデオの作成にあたりました。いつもはシャイなてっちゃんのパパですが、まるで別人のように元気よくビデオに登場しま した。パパはてっちゃんのために歌を歌い、絵を描き、絵本を読み…、 最後にてっちゃんの大好きなアンパンを食べてもらうことにしました。「てっちゃん! パパだよ! てっちゃんの大好きなアンパン、パパも食べるね! おいしいね、てっちゃん!」ビデオの撮影は無事終了しました。てっちゃんのパパが、満面の 笑みを浮かべて、あまりにおいしそうにアンパンを食べていたので、『よかったら、もう一ついかがですか?』とアンパンを勧めると、 「実は私は甘いものが苦手で…、アンパンは特に苦手なんですよ!(笑)」 当時私は未熟な大学生でしたが、『子供のためなら、何でもやろう!』というパパの姿に、胸が熱くなりました。

どんな経験もプラスに

春に大阪から転勤してきたヒナちゃんが、秋に広島へ越して行きました。最後のプレールーム、ミッチャンのパパとママからお別れにパーシーのポシェットを首にかけてもらいました。ヒナちゃんは、しばらくそれを見つめていましたが、涙がポロリ。その後元気にみんなと遊び、コウちゃんのママにもらった送別会のお菓子を嬉しそうに食べました。

転勤と言えば、私にも色んな思い出があるのですが、私は沢山の子供たちを送り出す側でした。私の夫はある企業の研究者で、あまり転勤はなかったのですが、同じ会社でも事務の方たちは1、2年で転勤していきました。息子たちが幼い頃、そんな事務の方々を見て、転勤の少ない研究者の家庭で話し合いました。転勤族の子供たちを『暖かく迎えて、暖かく送り出そう』と。まず、引越してくる当日、子供を私の家で預かりました。同じ棟の子供たちみんなで新しく来た子を迎えました。他のお母さんたちで、食事を作ったり、引っ越しの手伝いをしました。お誕生会、こどもの日、ハロウィン、クリスマス… 子供農園もやりました。自分たちで植えた野菜をみんなで収穫し、みんなで料理しました。サツマイモは、葉は腐葉土に、茎はきんぴらごぼうのように炒め、蔓は乾燥させて、クリスマスのリースを作りました。出来るだけ色んなイベントをやって『思い出をいっぱい作って送り出そうね』と、研究者の家で話し合いました。ある日、同じ階段の仲良しのナナちゃんとシンちゃんのパパが、転勤になりました。社宅を出て行く引っ越しのトラックを追いかけて、長男はポロッと涙を流しました。そしてその10年後、長男とナナちゃんとシンちゃんは、オーストリアで再会したのです。長男はオーストリアの高校へ、ナナちゃんとシンちゃんはパパの転勤でシドニーへ。

転勤族のママたち、子供を不憫だと思わずに、こう考えてほしいのです『我が子は沢山の人と出会い、沢山の経験を積み、そして今分かれた友達も、また何処かで再会出来る』と。子供はどんな経験もプラスに変える柔軟な力を持っています。(2013/9/22)

 

アニャモ

Aくん(2歳)は自分の事をアニャモと呼んでいます。この響きが何とも可愛いので、周りの友達もだんだんアニャモと呼ぶようになりました。アニャモは、今反抗期で、どんな場面でも「やだ!」の連発です。しかしこのアニャモが、私の話に真剣に耳を傾け「うん、解った!」という時があります。それはどんな時か?『作戦会議』です。

以前のアニャモは簡単にオモチャを取られて大泣きしていました。オモチャを簡単に取られるという事は、サッカーに例えると簡単にボールを取られるということです。さて、簡単にボールを取られないためにはどうしたらいいのか? 『作戦会議』です。まず、アニャモがどんなタイプの選手か分析しなくてはなりません。フィジカル型の選手なら話は簡単で、ドカーンと一発相手をタックルでぶっ倒しておけばいい訳ですが、アニャモはフィジカル型の選手ではありません。というより、相手がプロボクサーの娘なので、『フィジカル』『スピード』『メンタル』の三拍子を備えていて、その上足のバネが良く反射が速いのです。

さて、アニャモはこの手強い対戦相手をどうやってかわしたらいいのか? フィジカルでは負けてしまいます。メンタルは鍛えれば五分五分に持っていけるでしょう。さて、スピードはアニャモはなかなかいい感じです! 実はアニャモの両親は野球と新体操のインストラクターなのです! そこで、スピードと技術を武器に勝負します。『いいか、アニャモ、簡単にオモチャを取られるな!、相手の動きを良く見ろ! 』相手は女の子なので決して叩いてはいけません。巧みに切り返すのです。 例えばサッカーで言うイン、アウト、ソール、シザースを組み合わせるように、フェイントと切り返しの技を連続で二つ以上かけます。『翻弄作戦』ですね!(笑)アニャモの真剣な目!「嫌だ!」連発のアニャモが、作戦会議では「うん!解った!」と言って深く頷くのです(笑)

最後のクリスマス プレゼント

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http://youtu.be/7nGLKi-OgWw (クリックして下さい:前半)

http://youtu.be/P-KeMmxSVm4(クリックして下さい:後半)

14年前の冬、父は癌で3度目の入院をしました。『これが最後のクリスマスかもしれない 』 そう思った私は、子供たちに徹夜でサンタさんの衣装を作りました。長男8歳、次男3歳。可愛らしい二人のサンタさんの訪問を、父はとても喜んでくれました。

 

病室で父は、童話を書いていました。それは、新しい作品ではなく、何十年も煮詰めてきた大作でした。父は戦争をテーマにした童話で賞をいただいたのですが、自分の中では、その作品は未完成だったようです。その後何度も手を加えては、書き換えていました。そして、自分自身が確実な死と向かい合った時、今まで煮詰めてきた作品が、本当に納得のいく大作となってしあがったようでした。

 

父の作品を当時小学校2年生だった長男がラジオで朗読しました。クリスマスの夜、ラジオから流れる孫の朗読を、父は満足そうに聞いていました。 父が他界したのはその一ヶ月後でした。

生きる

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ー16歳の少女が遺したものー

『よっちゃんのクレヨン』は、従兄弟の娘千恵ちゃんが、膠原病という難病と闘いながら病床で書き上げた作品です。そして彼女の死後、貴重な作品は鮮やかな一冊の絵本となって出版されました。 私は『生と死』について、幼児期から子供達に話すことにしています。教室で私は子供達に、何度も何度も繰り返し『よっちゃんのクレヨン』を読みきかせてきました。目をキラキラさせながらお話を聞いている子供たち。子供たちの心の中に、この作品は今も力強く生き続けています。

 

よっちゃんは、不思議なクレヨンを持っています。イチゴ、ブドウ、みかん、・・・よっちゃんのクレヨンは、描いたものが絵の中から飛び出してきます。よっちゃんは、次々と飛び出してきた果物を、遊びにきた動物たちにわけてあげます。そして、ミドリのクレヨンでおいしそうなメロンを描いたとき、くまさんがやってきます。よっちゃんは、くまさんにメロンをあげるのを迷います。でもくまさんがメロンが欲しくて泣くので、可哀想になってあげてしまいます。最後に残ったクレヨンは黒。死と向かい合っていた16歳の千恵ちゃんにとって、黒いクレヨンは死を意味しているようにも思えます。よっちゃんの目から涙がこぼれます。しかし驚いたことに、物語はこの黒いクレヨンから素晴らしい展開をみせます。よっちゃんは最後に残った黒いクレヨンで、大きなお花の種を描きます。よっちゃんが種に水をかけると、黒い種はひまわりの大輪となって花開きます。太陽の花ひまわり! それは、残された時間を力強く生きた千恵ちゃん自身ではないでしょうか。

 

『いろんなことに

つまずいてばかりの私

人間は いつだって

イヤなことから逃げられないの

でも、そのイヤなことに負けたら

そこで そのひとの人生はおしまい

つまずいても ころんでも

たちあがって

一緒に 歩いていこうよ

今しか できないことって

いっぱい あるよ

その輝きを 失わないように……』 (小林千恵)

サボテン

 

サボテン

君は覚えているだろうか。19年前の春、南房パラダイスの土産物屋で掌サイズの小さなサボテンを買ったこと。今そのサボテンは、バカでかい鉢に溢れんばかりに咲いています。22歳の君に負けないくらいに元気よく。

泥だんご

泥だんご
 泥だんごを作るのが大好きだった次男。毎日幼稚園で泥だんごを作っては、ポケットに入れて持って帰っていました。『毎日こんなにお団子を持って帰ってきたら、幼稚園の土が減っちゃうよ!返しに行こうね。』そう言って泥だんごをいっぱい車に積み込んで、幼稚園に返しにいきました。

卒園式、『もう、今日が最後だから、一個だけ泥だんごを持って帰ってもいい?』『それじゃぁ 一個だけね。』 次男は最後のお団子を作り、嬉しそうにポケットにしまいました。

あれから10年、その泥だんごは今もここに…