社会が求める人材を育てる

Posted July 12th, 2015 by Hikariko_Date

  
子供を有名小学校に入れたいと思う親は多い。気持ちはよくわかる。学校が崩壊する心配がなく、授業内容がいいからだ。しかし、長い目で見ると決してこれはいいことではないと私は思う。幼児期から選りすぐりのエリートの中で育ってしまうと、社会全体が見えなくなってくる。幼児期から名門校で学び現役で東大に合格した学生から、私は以前こんな意見を聞いたことがある。『自分たちが優遇されるのは当然だ。自分たちは、幼児期から人の何倍も努力をしたのだから。』この意見は一見正しように聞こえるが、本当にそうだろうか? 彼は、東京大学の学生の家庭が、日本一所得が高いことを考慮していない。全ての子供が同じ土俵に立っている訳ではない。貧困家庭の子供は、豊かな日本でもなかなかチャンスを掴めないという現実がある。

長男が中学に入学した時、中学校が崩壊していた。その時鑑別所に送られた少年が、長男に涙ながらに語ったこと『俺の両親は、一度も面会にこなかった!』。この時長男は、何故この少年が鑑別所に行くに至ったのかを理解した。想像もつかないような家庭環境で、少年は闘っていた。我が子を真に学ばせたかったら、幼児期から世の中の陰の部分も子供に見せるべきだ。例えば、学校が崩壊する背景に何があるのか? 崩壊した学校を立て直すために自分にできることは何か? 当時長男は、コンピュータークラブにいたので、パソコンを使って行方不明になったクラスの女の子の捜索も教頭先生と一緒にやっていた。学校のパソコンのゴミ箱のメールやミクシーの書き込みなどから、少女は40代の男性に連れて行かれたことを長男はつきとめた。連れ去られた場所は横浜。受験の最中だったが、私は長男が崩壊した中学校で、机の上では学べない貴重な経験をしたと思っている。
先日、新美南吉の『ごんぎつね』を読んで『ごんは、悪いことをしたのだから殺されて当然だ!』という小学生の感想文を見て私は愕然とした。この子は、頭でっかちで、心が育っていない。『東大一直線。1時間勉強したら、10分ゲームやっていいよ。』そんな親が今増えている。 毎日受験塾のプリントを予定通りこなす事で頭がいっぱいなのだ。こうした子供たちは、世の中には色んな家庭環境の子供がいる事を知らずに育つ。だから『俺たちは幼児期から人の何倍も勉強したのだから優遇されて当然だ!』という主張になるのだろう。そして彼らが人の上に立つ。どんな冷酷な社会ができるのだろう?『確かに君達は、勉強したよね!しかし君達は、人として大事な勉強をしなかったんじゃないか?』と私は言いたい。

この春から、私の次男は立教大学の国際経営学部に通っている。夏休み、多くの学生たちは海外へ行く。多くの子供たちが欧米での留学経験があり、親たちはさらに子供たちを欧米の先進国で学ばせたいと考えている。しかし大学側はアジアなどの発展途上国で学ぶことを学生たちに勧めている。つまり、日本の社会が今求めているのは、世間知らずのお坊っちゃま お嬢ちゃまのリーダーではなく、もっと生きた経験を積んだ人材だということだ。
私は両親のおかげで稀有な経験をたくさんさせてもらった。一番貴重な経験は、少女時代両親と共にブラジルに行ったことだ。発展途上国の教育支援。当時のブラジルは貧富の差が激しく、至る所裸足の少年がスナック菓子を売り歩いていた。私はそこで『靴を履けること』『学校へ行けること』は 当たり前のことではない事を知った。そして裸足でヤシの実を夢中で蹴る少年の姿を見た時、私は初めて気づいた。『ブラジルのサッカーの強さの根底には、ハングリー精神があったのか!』と。私は、我が子を名門校に入れようと必死になっているママたちに言いたい。今、社会が必要としている人材は、幼児期から一流大学目指して莫大な知識を詰め込んだ人材ではなく、幼児期から幅広い経験を積み、どんな育ち方をした人も理解し受け入れる事ができる抱擁力と、広い視野を持つ人材だ。夏休み、毎年子供と一緒に発展途上国でボランティアをする親子、もしそんな親子がいたなら、あなたのお子さんこそ将来社会が求める人材に育つのだろう。

穏やかな午後、虫や草花と戯れる子供たちと過ごしながら、最近私が思う事。

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